作曲家、音楽プロデューサー。「カリテプリ音楽工房」代表。 1958年大阪生まれ。2004年『悲しい涙は流さない』(あべさとえ)、2006年『Deep Blue』(国土交通省「熊野川オリジナルソング大賞」)、2007年『幻のキャバレー』(メイ)、『誓い』(庄野真代)、2012年『ヒマワリ』(丸石輝正)、2013年『NHK BOSAI体操』、2016年『おともだち2000年』(京都府)など。
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上野公園の近くでリハーサルを終えて、
当日MCをやってくれるDJフランクや、
アレンジャーの野村教裕さんとぶらぶら歩いていると、
ふだん見たことのない光景を目にした。
上野公園の噴水からもわもわと霧が立ち込め、
色付きはじめた街路樹の視界をさえぎろうとするではないか。
噴水に貯められた水の水温よりも、
大気の温度の方が低いからこうなるのでしょう、きっと。
珍しい現象かどうかはわからなかったが、
念のためにシャッターを切り、
ぼんやり眺めていると見る見るうちに霧は晴れていくのだった。
ほんの一瞬の出来事だったのですね。
百人一首のなかに、
「村雨の露もまだひぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ」
という寂蓮法師の句があるが、
この句の意味がほんの少しわかったような気がした。
寂蓮法師はきっと、
よくある風景を見て、
しみじみとした気分にひたっていたのではないだろう。
いつもと同じ道に、
いつもと違う風景を見つけて、
その得がたさを切り取るために、
カメラのシャッターを押すようにこの句を詠んだのではないかと思った。
後の世にいうところの「一期一会」の風景だったのではないだろうか。
逆をたどれば、
寂蓮法師や先人の残した美意識があればこそ、
後の世の芸術家はその美意識を際立たせるために、
「一期一会」という概念を生み出すことができたのかもしれない。
21世紀の大都会のただなかに、
幽玄の世界が姿をあらわすのを見たような気がした。
無意識をめぐる学説の違いが先鋭化したとき、
フロイトとユングの目の前で超常現象が起きた。
二人のすぐ隣の本箱のなかで大きな爆発音がした。
ユングはフロイトにこう言った。
「『まさに、これがいわゆる媒介による外在化現象の一例です』
彼(フロイト)は叫んだ。『まったくの戯言だ』
私は答えた。『いや違います。先生、あなたは間違っていらっしゃる。
私の言うのが正しいのを証明するために、しばらくすると、
もう一度あんな大きな音がすると予言して置きます』
果たして、私がそう言うが早いか、
全く同じ爆音が本棚の中で起こった」(ユング自伝)
若松英輔氏は『叡智の詩学』のなかで、
例えばユングをはさんで小林秀雄と井筒俊彦を向き合わせ、
無意識の理解や、
超常現象の受け止め方を通して、
二人のもつ資質の共通性、
「詩人の魂」とはどのようなものかを解明しようとする。
無意識とは、小林秀雄にとっては、
冥界に通じる回廊のようなものだった。
詩人が「死者の国」や「天使の国」からコトバを託され、
「この世にあるものの奥にいつも彼方の世界のうごめきを感じる」ように、
小林秀雄もまた一種の神秘家であった。
「『他界』を立証する前に、
『他界』は信じられていなければならぬ」
と『ランボオⅢ』にあるように、
一見気むずかしそうな批評家は、
意外なことに「死者の国」や「天使の国」のそばで暮らしていたようだ。
井筒俊彦にとって無意識は、
深層意識の諸段階の一つであるようだ。
「唯識哲学」を通して井筒が明らかにしたことは、
意識は重層的な構造をしており、
意識の生まれる場所は、
言葉の生まれる場所であり、
この世界を存在せしめる、
根源的なエネルギーの生まれる場所である、ということだった。
この場所に触れたものは、
神秘家や、預言者や、哲学者と呼ばれるだろう。
世界の秘密をあらわにするもの、という意味で、
彼らを「詩人」と呼ぼう、というのが本書の趣旨だ。
小林秀雄は文学者であり、
井筒俊彦は哲学者であり、
二人はともに詩人の魂の持ち主だった。
意識と言葉と事物を存在せしめるエネルギーは、
たとえ直接目に見えなくても、
雲の上で輝く太陽のように、
絶えず世界を照らしているだろう。
光を体感したものは、
そのまぶしさを民衆に伝えなければならない。
しかし、言葉の根底にあるものを、
言葉で伝えることができるだろうか。
「神秘家とは、神秘体験に遭遇し、
そこに意味を探る人間のことではない」
と著者は井筒俊彦の言葉を引用している。
「真実の啓示を受容した者は必ず、
その実現を志し一介の行為者となり、
『万民のために奉仕する』」と。
神秘とは、口先で語られるものでなく、
行為され、実践されなければならない。
そういう意味で、小林秀雄も井筒俊彦も愚直な労働者だった。
著者もまた、その列に連なる一人に違いない。
岡本おさみの歌詞に登場する男たちは、
どこかうらぶれていてもの淋しげだ。
社会の片隅に身をひそめていても、
戦いを放棄したわけじゃない。
そのくせ酒を飲むとほがらかになり、
腹の底のきれいなところを隠せない。
周囲に女っ気がなく、
男同士で草野球をしたり、
マージャンをしたり、
惚れたはれたが口に出せない。
たまに慕情を募らせることがあっても、
本能に酩酊することがなく、
同志的な結びつきを求めているように見える。
古い仁侠映画の残り香がする。
俺が初めて歌の言葉を強く意識するようになったのは、
吉田拓郎の『祭りのあと』を聞いたときだった。
こんな歌詞が出てくる。
「日々を慰安が吹き荒れて
帰ってゆける場所がない
日々を慰安が吹きぬけて
死んでしまうに早すぎる
もう笑おう、もう笑ってしまおう
昨日の夢は冗談だったんだと」
「日々を慰安が」という言葉が砂利を噛んだようにゴツゴツして、
中学生の理解を完全に超えていた。
いまもうまく理解したとはいい難いものがある。
このフレーズは、現代詩人の吉野弘氏から借用したものだった。
俺たちの世代は岡本おさみを手がかりに、
吉野弘、黒田三郎、田村隆一と読み進み、
その延長上にT.S.エリオットを発見したり、
発刊されたばかりの「現代詩文庫」(思潮社)を読みふけったりしたものだ。
世界のどこかに言葉の鉱脈があるとすれば、
岡本おさみは足元を照らすランタンであり、
ときには坑道そのものだった。
岡本おさみが亡くなった。
あらためて作品を読み直してみると、
日本的な湿度の乏しい、
乾いた風が吹いていることに驚かされる。
日本の歌がいつの間にか失ってしまった風の音がする。(11月30日没 享年:73)
水木しげるサンが残した「幸福の七カ条」は本当によくできていて、
うーんとうなって感心したり、
思わず吹き出しそうになったり、
へたなお経よりもよっぽど効き目がありそうだ。
最後の第七条は「目に見えない世界を信じる」というもの。
分かりやすくいうと、
「死者の国」や「天使の国」を身近なものに感じなさい、
ということだろう。
水木サンの戦争体験は苛烈なもので、
失った左腕を意識するたび、
九死に一生を得た瞬間に引き戻されたにちがいない。
水木サンは「死者の国」の国境線を見た人だった。
水木サンが残した妖怪画をあらためて見ると、
どの妖怪にも愛嬌があり、
お茶目な表情をしていることに驚かされる。
身をやつしてはいるものの、
そこにいるのは天使なんじゃないか、
と俺には思えてならない。
まがまがしいそぶりをしていても、
それは子供らがハロウィンで変装するようなもので、
なかにいるのは無邪気な天使じゃなかろか、と。
水木サンが妖怪の居場所を守ろうしたのは、
人間の世界と「天使の国」の回路を閉じてはならない、
と考えたからではないかと思う。
俺は和歌山県田辺市の出身なので、
水木サンの作品のなかでは、
とりわけ『猫楠 南方熊楠の生涯』に愛着がある。
南方熊楠もまた、霊魂の研究に生涯を捧げた人だった。
水木サンは熊楠のなかに自分と同じ匂いをかぎつけたのだろう。
飼い猫(猫楠)にこんなセリフを語らせている。
「人間は死んだと思われ 無と思われている時の方が」
本当に生きているのかもしれないナ
人間は死後 なにもないと思うのは間違いだナ」
熊楠の研究をたった数行に圧縮したものだった。
「死者の国」「天使の国」は、
地上に惜しみなく叡知の雨を降らせるようだ。
「目に見えない世界」で見たものを伝えるものを、
人は詩人や哲学者や預言者と呼びならわしてきた。
水木しげるサンは漫画を通して、
死者や天使の振る舞いを語りつづけた。
「目に見える世界」と「目に見えない世界」・・・
ふたつの天体が離れてしまわないように、
ほがらかに、照れくさそうに、同時に渾身の力でつなぎとめていた。
真正の、詩人の魂の持ち主だった。(11月30日没 享年:93)
地下鉄の駅を出て見上げた空は、
青い宝石を砕いた顔料のように輝いていた。
中世の教会の天井に塗られたような青だった。
ぼんやり空を見上げながら歩いていると、
若いお母さんが小さな子供に話しかけることばが聞こえてきた。
「明日はパンですか?」
小さな女の子が心からおかしそうに笑い、
若いお母さんがそれにあわせて笑った。
「明日はパンですか?」
まるで不思議の国のなぞなぞみたいだ。
シュールリアリズムの詩の一節のようだ。
「うん、そう、パンがいい!」
小さな女の子の答えが明日の運命を握っているような気がしてきた。
ぽわん、と煙が出て明日がパンになり、
おにぎりやそばやラーメンは小さくなって過ごす日になりそうだ。