作曲家、音楽プロデューサー。「カリテプリ音楽工房」代表。 1958年大阪生まれ。2004年『悲しい涙は流さない』(あべさとえ)、2006年『Deep Blue』(国土交通省「熊野川オリジナルソング大賞」)、2007年『幻のキャバレー』(メイ)、『誓い』(庄野真代)、2012年『ヒマワリ』(丸石輝正)、2013年『NHK BOSAI体操』、2016年『おともだち2000年』(京都府)など。
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5月の中旬から11月の中旬にかけて、
「あいが、そいで、こい」のサウンドトラックに熱中していた。
それだけをやっていたわけではないが、
心の中ではいつも、
ふるさと田辺の情景や、
映画の登場人物のことを考えていた。
サウンドトラックは、
求められる効果にしても、
収めるべき尺の長さにしても、
はっきりとした決まりに基づいて作らなければならないから、
器械体操の規定演技のように、
技術そのものと向き合う時間が長くなる。
本格的なレコーディングに取り組んだことも、
自分にとっても、
奏者にとっても、
得がたい経験になったと思う。
自分の音を客観的にチェックすることで、
イメージと現実の乖離に直面するし、
音程なりタイミングなりを修正する作業を通して、
普段の合わせでは習得できない、
研ぎ澄まされた感覚を短期間のうちに身に付けることができる。
柴田啓佑監督にチャンスをもらったおかげで、
LESS IS MORE は新しい局面に足を踏み出せたような気がする。
いささか抽象的な言い方になるが、
音楽が音として聞こえているうちは、まだだめだ。
感覚が捉えているのは音なのに、
忘れていた情景が目に浮かんだり、
誰かの心の中を覗きこんだような気がしたり、
音楽を超えた体験を生み出すことができたとき、
その作品は初めて何かを達成できたのではないだろうか?
私は映像に音楽をつけながら、
記憶の中に沈んだ、
ほの暗い田辺の情景を思い浮かべていた。
組曲「あいが、そいで、こい」は、
来週18日(火)名曲喫茶カデンツァで初演される。
私は何かを再現できただろうか?
アストル・ピアソラの音楽は一筋縄ではいかない。
絵の具にほんの少しの補色を混ぜて、
色彩に奥行きを生み出す画家のように、
タンゴとクラシック、
通俗と洗練、
破壊と統合など、
相反する要素を取り込んで、
聴くものを退屈させることがない。
対極にあるものは、
一つの作品の中にも、
アルバム全体の中にも散見できるし、
ピアソラ本人の人生もまた安定とはほど遠いものだった。
「過去を振り返るな。昨日なしたことはゴミ」
と楽譜を全部燃やしたこともあったという。
前だけを見て突き進むスタイルは、
音楽に対しても、
住む場所に対しても、
異性に対してもぶれることはなかったようだ。
ダニエル・ローゼンフェルド監督の、
「ピアソラ~永遠のリベルタンゴ~」は、
ジャンルを横断するだけでなく、
空間的にも一箇所にとどまることのなかったピアソラの人生を、
息子と娘の証言でたどるドキュメンタリーだった。
もっとも身近にいたものだけが知るエピソード、
写真、8ミリ映画、カセットテープなど、
等身大の表現者の苦悩と栄光が再現されていた。
ピアソラの生み出すタンゴは、
長らく故国のアルゼンチンでは受け入れられなかった。
経済的にも困窮し、
音楽を捨てる寸前まで追い詰められた時期のあることを、
私はこの映画で初めて知った。
ピアソラに批判と憎悪が向けられたのは、
タンゴそのものの落日があり、
故国の人々が薄々そのことに気付いていたからではないだろうか。
タンゴだけではなく、
ハワイアンもラテンもシャンソンも、
あらゆるエスニックがロックやソウルやフォークに追いやられ、
衰退の兆しを見せていたのがこの時期だった。
タンゴを土俵際に追い詰めたのは、
ピアソラではなく、
プレスリーであり、
ビートルズであった。
これらのなかでタンゴだけが芸術音楽として再生し、
今日まで命脈を保っているのは、
ひとえにピアソラのおかげ、
といっても大きな反論は来ないような気がする。
ピアソラは4歳から15歳までの多感な時期をニューヨークで過ごしている。
18歳でバンドネオン奏者としてデビューしたときも、
どこか部外者のような目でタンゴを見ていたのではないだろうか?
支流が本流を再生させるような出来事が、
芸術においても、スポーツにおいても、
しばしば起きるのはなぜだろう?
ここで話は大きく飛躍するのだが、
今日の未明「入管法改正案」成立し、
外国人労働者が広く受け入れられることになった。
あちこちで批判の声がかまびすしいが、
私はそれほど心配しなくてもいい、と考えている。
日本人の美意識や価値観を適切に伝えることができれば、
外国人労働者の中から次世代のリーダーが生まれることだってあるだろう。
ピアソラに話を戻せば、
かれは生粋のアルゼンチン人ではなかった。
タンゴを大成させたその人は、
イタリア移民の三世だった。
実はカレーの違いがよくわからない。
インド風であろうと、
欧風であろうと、
あるいは家庭料理の延長であろうと、
一定の水準を超えたものであれば、
どれもが充分うまいと感じる。
だからわざわざ計画を立ててカレーを食べることもない代わりに、
毎日カレーを出されても耐えることができる。
以前このブログに書いたこともあるが、
鎌倉の海の家でバイトをしていたとき、
昼食は毎日カレーだった。
仲間は悲鳴を上げていたが、
自分はそこまで苦痛ではなかった。
よほど相性がいいのかもしれない。
神田は「カレーの聖地」と呼ばれることがあるらしく、
適当に店に入っても、
期待を裏切られることはこれまでなかった。
先日内神田を歩いていたら、
どこからともなくいいにおいがしてきた。
短い行列があったので、
最後尾に並んだら、
「スパイスボックス」という、
南インド料理の専門店だった。
用意されたメニューの中から、
自分の好きなカレーを選べるところがありがたい。
写真のミールセットは、
カレーと野菜の煮込み料理をセットにしたもの。
これだけ種類があって、
1,800円はお値打ち価格といえるだろう。
本当の酒飲みは、
酒の種類を選ばないものだ、
と聞いたことがある。
アルコールであれば何でも、
というのが本当の酒好きであって、
銘柄にこだわっているうちは、
素人も同然である、という説がある。
これにならっていえば、
自分はカレーのマニアなのかもしれない。
油で炒めた食材をスパイスで煮込んであれば、
分けへだてなく愛することができる。
鈍いといえばそれまでなのだが、
そんな自分であっても、
「スパイスボックス」のカレーにははっとさせられた。
昼食の時間をとっくに過ぎても、
次から次へと客足が途切れることのない店だった。