作曲家、音楽プロデューサー。「カリテプリ音楽工房」代表。 1958年大阪生まれ。2004年『悲しい涙は流さない』(あべさとえ)、2006年『Deep Blue』(国土交通省「熊野川オリジナルソング大賞」)、2007年『幻のキャバレー』(メイ)、『誓い』(庄野真代)、2012年『ヒマワリ』(丸石輝正)、2013年『NHK BOSAI体操』、2016年『おともだち2000年』(京都府)など。
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東京ミッドタウンで開催されている「音のアーキテクチャ展」で、
勅使河原一雅氏の「オンガクミミズ」を鑑賞した。
この企画展は、小山田圭吾さんが書き下ろした曲に、
複数の映像作家が動画をつける、
音楽と映像のコラボレーションであり、
最先端の映像作家の競作を楽しむ場となっていた。
勅使河原さんの作品は、
群を抜いて美しく、迫力があった。
芸術作品のエンジンは、
作家の生命力の強さであり、
イマジネーションの豊かさであることを改めて教えられたような気がする。
小山田圭吾さんの新曲は、
記号操作の域を出ておらず、
芸術的な野心をあまり感じさせないものだった。
長く聴いていると疲れる種類の音楽なのだが、
映像によっては、
あっという間に聞こえるところに驚いた。
時間を短く感じさせる、
数人の作家の一人が勅使河原一雅氏だった。
映像を音楽にリンクさせると、
どうしても説明がちになってしまうのだが、
勅使河原さんの作品は、
観客を思いもかけない場所に連れ出した。
芸術作品というものは、
すべからく「驚き」を内包していなければならない、
と自分は普段から考えている。
ありふれた場所からはじまって、
イマジネーションが観客の予想を上回り、
見たことも、聴いたこともない地平に連れ出したとき、
芸術家は初めて責任を果たした、
といえるのではないだろうか。
器用で、かしこそうな作品が多いなかで、
勅使河原一雅さんは根源的な生命力をほとばしらせていた。
(「音のアーキテクチャ展」は10月14日まで)
先月ニューヨークから戻って以来、
毎日あたふたと過ごしていたので、
「こんなことではいかんなあ」
とふとカレンダーを見たら、
『ミラクル・エッシャー展』があと3日しか残っていなかった。
平日の午後だから何とかなるだろう、
とタカをくくって部屋を出たが、
この炎天下に40分待ちの行列ができていた。
週末はさらに混むだろうから、
東京での鑑賞はあきらめなければならなさそうだ。
それでも上野の森に出かけたのはよかった。
ふと立ち止まって、
われに返れる時間が持てた。
東京国立近代美術館で横山大観を見てきた。
生誕150年というから、
夏目漱石や南方熊楠の1歳年少になるわけだ。
大観は昭和33年まで生きていたから、
近代というのは案外近くにあるものだ。
漱石も、熊楠も、大観も、
たしかに歴史的な巨人には違いないが、
ガラスケースの中に収めたり、
教科書の中に閉じ込めたりして、
遠くから眺めていたのでは、
何か大切なものを見落とすことになりそうだ。
絵画には肉体の痕跡が残っているから、
その運動を逆にたどることによって、
生身の大観に触れることができるかもしれない、
と淡い期待を抱いて会場に来た。
日本画には写実の伝統があるのか、ないのか、
大観の絵は人物にしても、
風景にしても、
かたちを写すことにおいては、
いい加減なところがあるようだ。
海面の表現など、
「へ」の字をいくつも並べたようで、
こんなことでいいのだろうか、
と素人目にも心配になる。
ところが芸術的な野心においては、
大観はほとんど異次元に住んでいる。
目の前の現実とは別の、
自分の心の中にある、
もう一つの現実を吐出するようなところがあって、
その勢いのすさまじさに吹き飛ばされそうになる。
映画の『ジュラシック・パーク』のシリーズは、
これまで5作品が生み出され、
いずれも高い興行成績を残しているようだ。
映画の登場人物も然り、
その映画を見に行く観客も然り、
人間というものは怪物を見たり、
途方もないエネルギーに触れたり、
怖い思いをせずにはいられない生き物であるようだ。
芸術作品もまた、
怪物の余熱を残した、
排泄物の類であるのかもしれない。
「私はまずい絵ばかり描いて来ましたが、
気持ちは今でも、
世界一の絵を描こうと思っているんです」
と横山大観の言葉があった。
絵画という器に盛られた、
人間の精神の圧倒的な熱量が、
会場のそこかしこに渦巻いていた。
それは輪廻をくり返し、
何世代にも渡って蓄積されるはずのエネルギーが、
横山大観という90年足らずの人生に宿り、
一気に凝縮されたかのように沸き立っていた。
私は東京国立近代美術館にいるのに、
ジュラシック・パークを歩いているような気がしていた。
「優秀なスタッフと俳優に恵まれれば、
演出家なんてほとんどすることがない」
という意味のことを蜷川幸雄が語っていた。
逆にいえば何か問題が発生したときにこそ、
演出家の役割が重要になる、ということだ。
ディレクションの手際のよさは、
トラブル処理の過程で明らかになるものだ。
例えば外注した写真の出来が悪く、
再撮影しなければならない、
という場面があったとする。
このときよほど慎重に言葉を選ばないと、
大切なスタッフを失うことになりかねない。
ポスターとか、
ウェブサイトとか、
使用場面のイメージを伝え、
それにふさわしいものが足りないので、
もう一度撮影をお願いしたいのだが、
詳しいことは改めて相談しましょう、
とあまり事務的な印象を与えないほうがいいような気がする。
ところがスタッフが外国人の場合は、
このような言い方では肝心なことが伝わらないばかりか、
無用に相手を混乱させることがある。
いつまでに自分のスケジュールを知らせるから、
都合のいい日を教えてほしい、
と率直に言わなければ、
却って不安にさせることになるようだ。
問題点を分かりやすく指摘しながら、
自分の好意や友情に変わりがないことを、
選び抜いた言葉に託さなければならない。
日本人同士の場合は、
口では「悪くないよ」と言いながら、
それとなく問題点に気付かせようとするから、
コミュニケーションのスタイルとしては、
ほとんど真逆に位置するかもしれない。
いずれにしても演出家やディレクターは、
トラブル処理のためにそこにいる。
いつか優秀なスタッフと役者を集め、
何もしなくても作品が成功する日を夢見て、
日々の戦いを乗り越え、
周囲の信頼を勝ち取ろうと努力している。
話は少しそれるが、
経営者の集まりに顔を出したりすると、
「景気が悪いね」
と口々に愚痴を聞かされることがある。
景気がよくて何もしなくてもものが売れるようなら、
経営者になすべき仕事はないだろう。
蜷川幸雄に話を戻せば、
この人は困難を回避しなかった。
イスラエルとパレスチナの俳優を舞台で共演させたり、
高齢者を集めて群像劇を作ったり、
むしろ強い風に逆らって、
前傾姿勢で歩いているように見えた。
その姿が畏敬の念を与えればこそ、
優秀な人材に守られたのではなかったかと思う。
Less is moreのメンバーの写真を撮ることになったとき、
時代背景をどうするか、
テーマをどこに置くかが話題になった。
写真家のDerek Makishima氏は、
彼らにツィードのスーツを着せたい、と言った。
柄はヘリンボーンかグレンチェック、
古きよきヨーロッパの味わいを出したいと言った。
1920年代の巴里に来た4人の日本の若者。
当時の巴里には、ヘミング・ウェイ、
F・スコット・フィッツジェラルド、
ピカソ、ダリ、コール・ポーターら、
時代を画する俊英たちが集まっていた。
後にヘミング・ウェイが『移動祝祭日』に著した世界。
彼らは禁酒法の米国を離れ、
巴里でドンちゃん騒ぎをくり広げていたのだった。
そこに4人の俊才を置きたい、とDerek氏は言うわけだ。
ちょうど日本では「大正ロマン」と呼ばれた時代。
モダンガールやモダンボーイが銀座を闊歩していた。
現代の私たちが想像するよりも、
巴里は近い存在だったのかも知れない。
現実に佐伯祐三が巴里の風景を描きまくり、
藤田嗣治が名声を得たのもこの頃だから、
Derek氏の発想は本質をついているのかもしれない。
Less is moreの音楽には、
たしかに異国情緒と懐古趣味がある。
巴里にしても銀座にしても、
人の集まる場所にはジャズが流れ、
着飾った人々が美食と飲酒を楽しんでいた。
Less is moreの精神は、
この時代の価値観とは真逆のような気もするが、
当時のファッションを再現したり、
印刷物に「モダン」な感性を取り入れたりするのはありだと思う。
私たちがよく使うフォントは「アールデコ」から引用したものだ。
デザインの根本にある精神は、
未来に対する信頼感ではないかと思う。
近代化の弊害を知る現代人には、
モガやモボの描いた夢のすべてに共感することはできないが、
未来に対する信頼感だけは、
受け継いでいけそうな気がしている。