作曲家、音楽プロデューサー。「カリテプリ音楽工房」代表。 1958年大阪生まれ。2004年『悲しい涙は流さない』(あべさとえ)、2006年『Deep Blue』(国土交通省「熊野川オリジナルソング大賞」)、2007年『幻のキャバレー』(メイ)、『誓い』(庄野真代)、2012年『ヒマワリ』(丸石輝正)、2013年『NHK BOSAI体操』、2016年『おともだち2000年』(京都府)など。
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ロンドンはキャラクターのはっきりした都市だった。
バッキンガム宮殿の周辺を散策し、
「大英博物館」に日参すれば、
「UKらしさ」のようなものが見えてくると思った。
街のあちこちで遭遇する「バスキング」など、
若い世代の自己表現も、
古い文化の上にきちんと位置づけられて、
順接的であれ、
逆説的であれ、
バウムクーヘンのような地層を描いているように見えた。
19世紀に建てられた「キングスクロス駅」に、
ハリー・ポッターの世界への入り口があるのは、
まさしくその好例ではないかと思う。
パリにも同じように、
その都市の歴史と文化を凝縮したような、
博物館があり美術館がある。
東京に戻ってふと考えるのは、
「東京らしさ」とは何だろう?ということだった。
中世以前のことはともかく、
近世と近代と現代を一望の下に見渡すような、
公共の施設がどこかにあるだろうか?
浮世絵と現代のアニメは断絶しているし、
江戸の文化と現代の消費文明の間には、
あまりにも大きな隔たりがあるように感じられる。
外国から来た旅行者が数日間で、
東京の全体像を漠然と把握できるような、
「大英博物館」や「ルーブル」のような、
文化の殿堂ができるとしたら、
そこにはどんなものが展示されるのだろうと空想してみる。
明確な像が浮かばないのは、
東京が若い都市だからではないだろうか?
伝統がない、という意味ではなくて、
近世から近代に移るとき、
そして近代から現代に移るときに大きな跳躍があり、
配線の見えない文化的現象が都市全体に散りばめられているので、
よほどの知見の持ち主でないかぎり、
それは「混沌」にしか見えないだろう。
東京に「文化の殿堂」がないとしたら、
それは東京の活力を示すものではないか、
とこの頃私は考えはじめている。
展示物の採集はまだ終わっておらず、
今も継続中の証ではないだろうか、と。
歴史駅な役割を終えたコンテンツのことを「オワコン」と呼ぶことがあるが、
東京のコンテンツにはまだ未来がある。
都市がまだ成長期にあり、
うまく整理がつかないから
断絶と混沌が目に付くだけかもしれない。
東京に文化の殿堂がないのは、
悲観的な事象というよりも、
むしろ可能性ではないだろうか?
先週末(23日)本郷三丁目「名曲喫茶カデンツァ」にて、
「Less is more 8th Live」が開催されました。
今回はいくつか新しい試みを取り入れました。
MCを置かず自分たちだけで進行し、
恒例の手拍子コーナーをお休みし、
より難易度の高い演奏形態にチャレンジしました。
いわば実験的な手法を取り入れた理由は、
表現の稼動域を広げ、
新しい筋肉を身に付けるため。
「変えていくべきもの」と「残すべきもの」は何か、
体感させていただく演奏会になりました。
今メンバーが総力を挙げて取り組んでいるのは、
ジャズやファンク・ミュージックがいうところの「グルーブ」です。
目に見えないものを定義するのは大変難しいのですが、
・繊細なリズムが生み出す「一体感」であり、
・テンポを上げずに生み出す「スピード感」ではないかと考えています。
ワクワクする気持ちであり、
踊り出したくなる衝動ともいえます。
「グルーブ」とは「今鳴っている音」とはかぎりません。
演奏されている音も、
鳴っている音の陰に隠れている潜在的な音も含めて、
空気中に一定の間隔で刻まれる、
力強いパルスのことかもしれません。
この「グルーブ」を奏者が共有できたとき、
自分はその場になくてはならない「部分」であり、
同時に全体を支配する「中心」でもあるような、
日常生活にはない感覚を体験します。
そしてここが一番大切なことなのですが、
「グルーブ」は観客にも共有されるのです。
奏者と聴衆の垣根を取り払い、
会場を一つにするのが「グルーブ」の持つ力です。
巨大な音で打楽器やベースを鳴らしたくなる理由はここにあるのですが、
私たちは弦楽器だけで「グルーブ」を生み出そうとしています。
いつかその日が訪れたとき、
会場にあなたが居てくださいますように。
ロンドンから戻って1ヵ月が過ぎようとしているが、
体のどこかにまだロンドンの成分が残っているようだ。
それは疲労感のようなものであり、
砂糖分のようなものでもある。
九死に一生を得た人とか、
宝くじに当たった人のように、
前後で人格が変容する出来事があるものだ。
眠っていた遺伝子にスイッチが入ることもあるようだ。
ロンドンから戻って以来、
私の言動に不審なところがあったとしても、
それは精神的なショックのせいなのだから、
どうか大目に見ていただきたいものだ。
ロンドンで強く印象に焼きついたのは、
海産物の質の高さだった。
シーフード・プラッターに乗せられて出てくるものは、
どれもこれも味がしっかりしていた。
スモークサーモンは和菓子のようにモチモチしていた。
とりわけドーバーソールのグリルは夢に見そうだ。
函館で食べたシマホッケよりもでかかった。
脂がしっかり乗っていた。
塩が利いているので味が濃く、
魚のふりをした肉のようだ。
似たようなものが日本にないか、
探すともなく探していたら、
神田「樽平」のメニューに「柳カレイの一夜干し」があった。
これには感動しましたね。
本家のような力強さはないが、
白身魚ならではの繊細さがあった。
靴底(ソール)と白足袋の違いに例えられようか。
私にはこれで充分だった。
だって値段が3分の1なんだもん。
これまでは見ても目に入らなかったメニューだが、
これからはレギュラーの一角を占めそうだ。
2月23日(金)19時~本郷三丁目「名曲喫茶カデンツァ」(会費1,500円:1ドリンク付) で行われる演奏会「Less is more 8th live」 のセットリストができました。新曲『FALCON』と『暖流』を発表します。
第1部
1.KUMANO
「信不信を選ばず、浄不浄を問わず」といわれた熊野は、神と仏を対立させませんでした。3拍子と5拍子を異なる価値観に見立て、同時に、あるいは交互に演奏することによって、多様性の共存をかたちにできないか、チャレンジをしてみました。(編曲:加藤周作)
2.海辺のミュゼット
フランスの古い音楽の形式を使って、熊野古道の海の情景を描いてみました。毎年秋が来て、空気が澄んでくると、田辺湾に沈む夕日が海と空と街を染めて、奇跡のような時間が訪れることがあります。あれは田辺市民にとって、もう一つの「世界遺産」ではないかな、という気がします。(編曲:中島直樹)
3.熱帯樹
「音楽が降りてくる」みたいなことをいう人がいますが、自分はあまり信じていませんでした。でもこの曲のリフは、何の前触れもなく、突然思いついたものです。どこか遠いところからやってきたリフを軸に、ダンスミュージックを作ってみたい、と思いました。(編曲:石井智大)
4.CHIKATSUYU
熊野古道の中ほどに盆地があり、民話の世界のような集落が開けます。ここ「近露」の里は、鮎で有名な日置川の上流にあり、山霧と川風が複雑な気象のドラマを見せてくれます。男女の舞のような光景を、5拍子と6拍子の複合リズムで表現しました。(編曲:加藤周作)
5.暖流
熊野古道というと森のイメージが強いのですが、陽光きらめく海を忘れてはならない、と思いこの曲を作りました。黒潮がさまざまな表情を見せながら旅する姿を描きました。骨格の整ったアレンジと7拍子のインスピレーションあふれるソロの対比が聞きどころになりました。雄大な風景が目に浮かぶようです。(編曲:石井智大)
第2部
6.5拍子のタンゴ
ピアソラの世界観が大好きで、毎日聴いていた時期があります。あるとき5拍子でタンゴを演奏したら、不思議にうまくいくことを発見しました。3拍子でステップを踏んで、あとの2拍子ではねるとスカートがひるがえるような感じが出るのです。誰か踊ってくれるといいのですが。やっぱ無理かなあ。(編曲:野村教裕)
7.FALCON
この曲ができたとき、3次元の空間を猛烈な速度で移動する飛翔体が思い浮かびました。宇久井半島の上空を飛ぶ隼とイメージが重なり、このタイトルになりました。11拍子のこの曲は難易度が高く、演奏技術の限界に挑戦しています。加藤周作くんと初めての共同作品になりました。
8.ラジカル・シンコペーション
7拍子は、小節が変わるごとにアクセントの位置が移動するので、全体に裏拍を取っている感じになるものですが、さらにこれを16分音符でシンコペーションしたらどうなるか?とチャレンジしました。イントロと間奏で会場との掛け合いが楽しい作品になりました。(編曲:野村教裕)
9.精霊のダンス
フランスから来た若者を何度かアテンドするうちに、彼らは熊野を旅しながら、理性の外側の世界に触手を伸ばしているのを知りました。「熊野の自然の中には、この世のものならぬ生命が潜んでいるような気がする」と言うのです。カトリックの国の若者が精霊信仰の言葉を口にすることに、軽くショックを受けると同時に、世界は優しい感受性を共有しはじめている、との思いを強くしました。(編曲:石井智大)
10.来歴
「人は長い旅をするもので、人生とはその旅の一日であるような、何だかそんな気がしている」と数学者の岡潔は言いました。同じように、巡礼道を歩いていると、そこに自分の人生を凝縮した瞬間を感じることがあります。細い道を歩く心細さや、目の前の風景が一気に開けたときの感動は、まるで人生そのもの。瞬間に宿る永遠を描いてみたい、と思いました。(編曲:藤井理央)
Enc1.舞姫
加藤周作くんがドイツに旅立つときにプレゼントした曲です。5拍子の舞曲にチャレンジしました。近い将来、5拍子とか、7拍子とかの変拍子で人がダンスを踊れるようになったら楽しいな、と夢想しています。また変拍子には、古い曲想に新しい生命力を吹き込む力のあることに気付かせてくれた曲でもあります。(編曲:加藤周作)
Less is moreのメンバーの写真を撮ることになったとき、
時代背景をどうするか、
テーマをどこに置くかが話題になった。
写真家のDerek Makishima氏は、
彼らにツィードのスーツを着せたい、と言った。
柄はヘリンボーンかグレンチェック、
古きよきヨーロッパの味わいを出したいと言った。
1920年代の巴里に来た4人の日本の若者。
当時の巴里には、ヘミング・ウェイ、
F・スコット・フィッツジェラルド、
ピカソ、ダリ、コール・ポーターら、
時代を画する俊英たちが集まっていた。
後にヘミング・ウェイが『移動祝祭日』に著した世界。
彼らは禁酒法の米国を離れ、
巴里でドンちゃん騒ぎをくり広げていたのだった。
そこに4人の俊才を置きたい、とDerek氏は言うわけだ。
ちょうど日本では「大正ロマン」と呼ばれた時代。
モダンガールやモダンボーイが銀座を闊歩していた。
現代の私たちが想像するよりも、
巴里は近い存在だったのかも知れない。
現実に佐伯祐三が巴里の風景を描きまくり、
藤田嗣治が名声を得たのもこの頃だから、
Derek氏の発想は本質をついているのかもしれない。
Less is moreの音楽には、
たしかに異国情緒と懐古趣味がある。
巴里にしても銀座にしても、
人の集まる場所にはジャズが流れ、
着飾った人々が美食と飲酒を楽しんでいた。
Less is moreの精神は、
この時代の価値観とは真逆のような気もするが、
当時のファッションを再現したり、
印刷物に「モダン」な感性を取り入れたりするのはありだと思う。
私たちがよく使うフォントは「アールデコ」から引用したものだ。
デザインの根本にある精神は、
未来に対する信頼感ではないかと思う。
近代化の弊害を知る現代人には、
モガやモボの描いた夢のすべてに共感することはできないが、
未来に対する信頼感だけは、
受け継いでいけそうな気がしている。