作曲家、音楽プロデューサー。「カリテプリ音楽工房」代表。 1958年大阪生まれ。2004年『悲しい涙は流さない』(あべさとえ)、2006年『Deep Blue』(国土交通省「熊野川オリジナルソング大賞」)、2007年『幻のキャバレー』(メイ)、『誓い』(庄野真代)、2012年『ヒマワリ』(丸石輝正)、2013年『NHK BOSAI体操』、2016年『おともだち2000年』(京都府)など。
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今週のニュースで心に重くのしかかるのは、
ニホンカワウソの絶滅の知らせだった。
まだ絶滅はまぬがれているものの、
メダカやゲンゴロウなど、
日本の自然の中になくてはならない存在が、
同じように絶滅の危機に瀕しているという。
ぼくたちは経済成長と引き替えに、
実にいろいろなものを失ってきた。
生物多様性はその最たるものだろう。
食物連鎖のピラミッドを見れば明らかなように、
土台がなければ頂点もない。
足元が崩れはじめていることを知りながら、
ぼくたちは成長の幻影から逃れられない。
かわうそは捕らえた魚を川岸に並べる習性があるという。
その愛嬌のあるしぐさをとらえて、
獺(かわうそ)の祭り、獺祭(だっさい)という言葉が生まれた。
そこから転じて、書物を広げて調べ物をする様子を獺祭と称するようになった。
かわうその存在は司祭のように厳かでもあり、
小さな魚屋のように愛らしくもある。
山口県岩国市に「獺祭」という純米大吟醸があり、
この酒の名前の由来から、
上に書いたような薀蓄を知った。
「獺祭」はするすると飲みやすく、
何よりも手に入りやすいのがいい。
いい酒なのに気難しいところがなく、
スーパーの陳列棚に収まっていたりもする。
「ぼくで最後にしませんか。これ以上川を汚さないで」
夢の中に出てきたかわうそは、
作家の保坂和志さんに似ていた。
「どうしようもないねん。動いてるバスからは降りられへん」
ぼくはおろおろと弁解するしかなかった。
かわうそが店じまいした川べりは、
祭りのあとの淋しさだ。
祭りは一年待てば帰ってくるが、
かわうそが人目に触れる機会は、おそらく、もう二度とない。
今日龍神ハートに原さださんを訪ねたら、
部屋全体がハーブの香りに包まれていた。
レモングラスを繊細にして、
針の先ほどの刺激を散りばめたような匂い。
それは粉山椒の匂いだった。
山椒の種を取り、
石うすで引いている最中だったのだ。
それらは全部手仕事だった。
かぎりなくフルーツに近いスパイスの匂い。
イタリアンやフレンチにも応用できそうだ。
聞けば和歌山県は山椒の生産量で日本一なのだそうだ。
知らなかった。地元のことなのに。
原さんには教えられてばかりいる。
原さんありがとう。
もうすぐ「龍神温泉美人体操」のお披露目やね。
どんなコスチュームになるか、楽しみやね。
「放送コードに引っかからないように」
メディアの方が心配していたね(笑)
新しいプロジェクトが動きはじめたので、
にわかに忙しくなってきた。
自分で自分の背中を押すように机に向かわせ、
両肩を押えるように椅子に座らせ、
手にペンを握らせて作詞をはじめる。
なかなかうまく書けない。
ふと気が付くとあちこちに抜け毛が落ちている。
ひぇー。知らない間に髪の毛をかきむしっているのだ。
無意識とはいえ、
何と乱暴なことをしたものか。
そうでなくとも抜けやすくなっているのに!
作曲をしているときに抜け毛に気付いたことはない。
こうして散文を書いているときも。
作詞をしている間だけ、
ぼくは異様に苦しむみたいだ。
1曲書き上げるたびに、
加齢を進行させている気がする(笑)
「夕鶴」というお芝居で、
自分の羽を抜きながら反物を織り上げたおつうを思い出す。
おつうの姿はものづくりに苦しむ芸術家の肖像そのものだ。
「織っている間は部屋を覗かないでください」
おつうの気持ちがよくわかる。
おっさんだったらなおさらだ。
冷やしラーメンはどちらを目指せばいいだろう?
頼まれもしないのに、ずっと頭を悩ませている(笑)
道に迷ったら出発点に引き返せという。
物事の本質を問うときは、
その起源にまでさかのぼるのが賢明なやり方だ。
冷やしラーメンのルーツをたどってみよう。
冷やしラーメンの誕生には2説あって、
ひとつは昭和27年に山形市の栄屋本店が編み出したとするもの。
もうひとつは寒河江市河北町の「冷たい肉そば」の派生系だとするもの。
河北町では大正時代から「冷たい肉そば」が普及していたというから、
麺がそばから中華麺に移行するのは自然のなりゆきに見える。
栄屋も本来はそば屋だというから、
冷やしラーメンはそばの進化したものにちがいない。
そば屋のラーメンがうまいのは道理で、
鴨南蛮を分解するとよくわかる。
そば屋とは「肉」と「だし」と「返し(そばつゆのタレ)」を扱うプロなのだ。
肉のうまみと魚介のうまみを併せた「Wスープ」の発想は、
そもそもそば屋の奥義に属するものだ。
今東京の冷やしラーメンは「冷製パスタ」の影響が見られるけれど、
その本質はそば屋の厨房にある。
だしをごくごく飲めるかどうかで完成度をはかるのもいい。
というのも、山形県の内陸部はおそろしく暑い。
1933年に山形市で記録した40.7度は、
2007年に熊谷市・多治見市の40.9度に抜かれるまで、
長らく日本の最高気温だったという。
冷たい汁物でクールダウンしないかぎり、
仕事も何もあったものではない。
河北町の「冷たい肉中華」と「冷たい肉そば」のスープは10度。
これは鳥の脂がギリギリ凝固しない温度だそうだ。
こんなところにも、
そば屋の厨房ならではの経験則が生きている。